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徹夜不可能

またまたご無沙汰してをります。

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冬になるとよく耳にする歌に、レミオロメンの「粉雪」がある。本物の粉雪が降る晩は、雪が音を吸収するため非常に静寂で、このメロディーといふか演奏は現実とは全く異なる。しかしリアルを感じさせる。

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ヴィヴァルディの「四季」の「冬」は傑作。「春」も「夏」も良いけれども。

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先日、漸く呉先生の「吉本隆明という「共同幻想」」を入手した。序に「げんしけん」と「新クロサギ」「ガラスの仮面」「聖☆お兄さん」「海街ダイアリー」の新刊(といっても出版されて随分経つけれども)を買った。

どれもまだ読了してゐない。

此の自分が、本好きの自分が、手に入れて直ぐに徹夜してでも全て読んでゐた自分が既に無い。仕事が忙しいだけではない。年なのだ。

…と体力は順調に衰微してゐるのだが、頭の中身に全く進歩、老成の跡がみられないのは一体如何すれば良いのだらう。

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「クロサギ」のカバー見返しに「公約すらあっさりと破られるのに契約は信じられるのが不思議だね」とあって、笑ってしまった。いや笑ひ事ではないのだが。

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佐藤優さんが良く使ふ

「今回の選挙はウンコ味のカレーを選ぶか、カレー味のウンコを選ぶか、です」

といふフレーズ。まあ其の通り。どちらも食べたくないね。

ともあれ、テレ東で各政治家に鋭く突っ込んだ池上さんの名前だけが益々高くなったウンコ色の選挙ではあった。投票は行った。全て外れ馬券といふ籤引みたいなもんだった。

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さて二週間前の選挙で私が一番力を入れたのが最高裁判事国民審査であった。各判事が関はった裁判での判決、判決と反対の意見を出したか如何か、等々、結構調べてメモもして投票所に向かった。

しかし相変はらず国民審査は殆ど話題にもならず。こっちはウンコと美味しい極上味噌が混ざってゐるといふのに。

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さて私の技量では全く冬山登山など出来はしないが、町中にある低い山、しかもハイキングコース、登山道が整備されてゐる山ならば問題無い。さう気付いた。

さふいふワケで仕事に一段落ついたら早速里山登山と洒落込まうと思ってゐる。

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先日、同僚に高村薫の本を貸した。同僚が読み終はった後、「高村薫は女だ」といふ話をしたら、非常に驚いてゐた。

さういや大昔、先輩が「高村薫は女だけど、良い顔をしてゐるね」と褒めたことがある。辛口の先輩が人、特に女を褒めるなんてことは滅多になかったので、鮮明に記憶してゐる。

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其の先輩には「照柿」を借りた。ハードカバー版だった。

文庫版になって大幅改稿された作品を読むと、頭に残ってゐるのとかなり異なるが、しかし印象は同じだった。

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「マークスの山」を思ひ出すと北岳に登りたくなる。

先般、同僚に某所の登山地図を貰った。益々登りたくなった。
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裏切りの書名

小さい時、小学校の図書室で「午前二時に何かが来る」といったタイトルを見掛けた。

此れはオバケ物か!とゲゲゲの鬼太郎好きの私は早速借りて読んだ。

…すると導入部は兎も角、最終的に全く予想外の話だった。良い意味で裏切られた。

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さて其の後、市立図書館で「日本残酷物語」といふ書名を見て、ホラー物か、と思って借りたら此れ又全く異なる話で仰天した。

しかも面白いといふか、凄い本だった。

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同じ頃、「ジロリンタン」シリーズといふのがあり、此れも「ジロリと見る何かか」と思ったら、またまた全く違ふ話だった。

しかも解説を読むと、作者が「小さい秋見つけた」のサトウハチローだといふのにも驚いた。

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まう少し大きくなってからの勘違ひで読み始め、素晴らしかった本は「天の蛇」と「天皇の影法師」。

良い意味で裏切られると一層印象的だ。

memo

昔々、呉先生が巨人の長島茂雄(漢字は此れで良かったのか?)について

「野球選手は野球ができるだけで、品行方正か如何かは全く別問題」

「野球しかやってゐないから、其れ以外の事は全くダメでもをかしくない」

といった事を書いた。

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原辰徳監督が暴力団員に一億円もポンと出したとか、其れを知ってゐるのは讀賣巨人の大物数名だけだったとか、仲介者は中畑DeNA監督だとか、曝露したのはナベツネ氏と大喧嘩した清武氏ではないかとか、色々大騒ぎ。

しかし馬鹿で下半身がだらしない野球選手は掃いて捨てる程ゐるのだから、かうしたスキャンダルは全くをかしくない、其れこそ想定内の話だらう。

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全く違ふやうで良く似た話がある。

かつての売春宿や飲み屋やパチンコ屋、雀荘等々にはヤクザが集り兼用心棒としてミカジメ料を取ってゐた。

社会的に下層とされた賭博売春水商売関連には、困った客も結構来る。縄張りヤクザはさうした客への示威となり、客も店や女の子には滅茶苦茶な事はできなかった。

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一体何が似てゐるのか?と思はれる向きもあるかもしれない。

プロ野球のコミッショナーとか何とか偉い人には元大物検事が就くのが恒例だ。

良く知られるやうに讀賣の大物オーナーだった正力氏は元々警察官僚(内務官僚)だった。

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国営ヤクザ(のOB)が用心棒。其れがプロ野球界である。

但し、普通のヤクザとは違ふ。

一応近代国家の看板を背負った人達なので其の辺のチンピラのやうなみっともない事はできない。換言すれば、余りに滅茶苦茶なこと、余りに無法な事はできない。だから野球選手にボランティアをやらせたり、昨年は国家的な節電詐欺にも協力させたりしたのだ。

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さう思ふと、原氏のスキャンダルが只の浮気とか隠し子程度ではないのではないか。其の程度なら政治家先生達も良くやってきたことだ。社会通念的に×であっても、犯罪ではない。

多分、大物検事だった先生には絶対知られたくない何か、だったんぢゃなからうか、と邪推してしまふ。

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以前も何処かに書いた気がするが、呉先生も御推薦の「城下の人」シリーズには、日露戦争前の満洲について詳しい話が載ってゐる。

当時の満洲を旅行したり、荷物を送ったりする際は、馬賊(地域自警団兼ヤクザ兼盗賊みたいなもの)にミカジメ料を払へば安全だったといふ。

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治安を担ふには、結局のところ暴力装置が必要なのだ。国家にしても私営団体にしても。

其処で内輪の酷過ぎる所業を揉み消すと不満が溜まってをかしなことになってしまふ。原さんはやっぱり辞任した方が良いんでないのか。

某氏は路チューを今の大臣と撮影された女性タレントとラブホ不倫程度でクビになったんだから、不公平過ぎる。

抗生物質ほか

佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社文庫)が面白い。通勤帰宅途中に読むだけなので遅々として進まないが本日朝、漸く上巻を読み終はった。

佐野氏の分析には「?」となることもあるが、取材された事実が色々と興味深い。

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先月『やちまた』を読み返したことと関連する話も出てきた。

敗戦後の沖縄には密貿易で稼ぐ人が蝟集したといふ。日本本土に運んで稼ぐのだ。

「商品」は米軍から流出した様々な物資で、その中には抗生物質があった。

荷揚げ先は神戸。あの山口組の本拠地だ。

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『やちまた』には筆者の足立と同級生で、妻の兄でもあった遮莫といふ号を持つ学校経営者が出てくる。

母が遺した神戸の学校を引き継いだ遮莫は運悪く結核になった。病状が日々悪化して行く中で、足立らは闇で流通していたストレプトマイシンを買っては遮莫に打った。

結核菌で脳も冒された病人は足立らが注射を打つ理由が分からず、その痛みと恐怖で震えながら世を去った。

其の凄惨で痛々しい描写を読んで辛くなるとともに、一方でそんなに抗生物質が簡単に入手できたのが不思議った。金さへ出せば幾らでも買へたといふのが奇妙に映ったのだ。

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多分、足立らが遮莫の為に購入した抗生物質は、沖縄から運び込まれた闇物資だったのだらう。其れは密貿易に携はる人々を潤し、横流しした米兵の小遣ひ稼ぎにもなった筈だ。

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さて佐野氏の本にも、様々な業界トップで権力を濫用する人を「○○の天皇」といふ形で喩へる話が山のやうに出てくる。

しかし誰かが云ったやうに、さうした比喩は余り妥当ではないのではなからうか。絶大な権力を何時でも恣意的に振るった天皇は殆どゐないのではなからうか。

無論、ここぞといふ時には権力を使っても、単なる金儲けやら何やら卑俗な事で専横だった天皇はゐなかった気がする。

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此の本の初めの方で出てきた、昭和天皇が沖縄訪問に執着する一大要因となったであらう出来事。其の下りを読んで遥か昔の大学時代、キャンパスで見掛けた替歌内容を想起した。

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当時、誰が作ったか、誰が学生掲示板に貼ったか分からないが、替歌は多数あった。

○○派とか××派といった如何考へてもをかしな新左翼や、右翼、共産党等々を歌ったものだ。「真面目な」本人達はさぞかし激怒したであらう。貼った奴を粛清してやる、と○○派の人が息巻いてゐた、といふ噂も聞いた。

しかしあの程度の「皮肉」で命まで奪はうとするのは、如何考へても言論弾圧であらう。

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閑話休題。「君が代」の最後を「其れはさうだ、アメリカに沖縄を売ったんだもの」と替へた歌詞。其れは事実としてあったといふことだ。

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序に。此の本を読めば分かるが、沖縄は単なる被害者ではない。奄美に対しては酷い加害者、といふ側面もある。

以前、兄ポッポさんが首相だった時、普天間移転問題で奄美の何処かに移転するといふ案が出たが、其れが全く受け入れられなかったのは、沖縄への恨みがあったんではなからうか。

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以前、呉先生の書評かエッセイで被差別部落と朝鮮出身者の微妙な関係を描いた本について知った。

さうした関係が沖縄と奄美にもある。沖縄の本島と離島の間にもある。

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最も興味深かったのは山中貞則代議士が中心となって行ってきた沖縄優遇政策が沖縄を補助金依存体質にしてしまった可能性を指摘した箇所である。

保護しないのも拙い。保護し過ぎも拙い。沖縄、過疎地、農業、工業、………難しいものである。

メモ

つっちー(土田さんの作品内での自称)が亡くなったショックから未だ頭がスッキリしない。

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一方、一昨日の雨で黄砂やら何やらが流され、昨日は抜けるやうな青空が広がり、遠くの山々も霞むことなく美しい姿を見せた。通勤途中の御宅にある豪奢な藤棚も紫と白の美しい花を大量にぶら下げ、蜂が山のやうに集ってゐた。

本日も空気は、昨日ほどではないが結構澄んでゐた。だが夕刻になると一昨昨日と同様、山は霞んで見えなくなってしまった。

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西洋中世史家の阿部謹也氏は著書の中で恩師の言葉を紹介した。「此れをしないと生きられない、といふ研究をせよ」といふ言葉を。

今朝の通勤途中、漸く「やちまた」再読を終へた。足立氏にとって春庭はさうした対象であった。

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阿部氏は次のやうにも書いた。

「物事を知る、学ぶ、といふのは自分が変はることだ。ある事を知り、物の見方、感じ方が変はる。己が変はったのだ」

養老孟司氏も同様の事を述べた。

「例へば自分が癌ですよ、と告げられたとする。さうすると去年までの桜と今の桜は違って見えるだらう」

無論、癌といふ不幸な例は最も鮮烈に「知る」事の凄さを表現する為に出したのであらう。

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養老氏は『自分が死なないと思ってゐる人へ』といったタイトルの本を出した。現代人はかなりのことを思ひ通りにする「脳化」社会(都市)で「快適に」暮らしてゐる。自らに突然の死が訪れやうとは夢にも思はない。

しかしさうではない。ヒトの体も運命も「自然」(≠脳の妄想)だからだ。当然、五体満足、身体壮健でも交通事故で突然に亡くなる事もある。地震や津波で命を奪はれることも、通り魔に刺されることも、何だって可能性はゼロではない。

「やちまた」(だけではないが)を読むと、死は隣り合はせにある、と思はされる。足立氏の学友が若くして結核で苦しんだ末に死んだり、脳出血で突然に死んだり、戦死したり、といった例が次々に出てくる。

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ところで「やちまた」を再読した最大の理由は新規顧客に盲人がゐるからだ。以前も同じやうな顧客がゐたのだが、其の時は「やちまた」を読まうと思はなかったのに、何故今回はさう思ったか。

先月、町歩きの会で某所に行った際、偶然通り掛った家で「何でも良いから欲しい物を持って行って」いふ方がゐた。何でも、家主が高齢で入院。其れを機に古い家を取り壊す為、弟夫婦達が片付けをしてゐるとのことだった。

玄関にある書棚を覗かせて頂いた。其の中に「やちまた」(朝日文庫版)があった。其れを職場の図書コーナーに置かうと思ひ他の本と共に拝領した。さうした事があったばかりだったので、再読を思ひ立ったのである。

此の書棚を見ると、随分と読書好きの方で、所謂インテリなんだらうと思った。

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全然異なる話。数日前のNHKラジオニュースで耳にし、気になってゐた話題http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0E3E2E0938DE0E3E2E6E0E2E3E09180EAE2E2E2

食品放射性物質「混乱招く独自基準やめて」 農水省 業界に要請

食品業界に対し、食品に含まれる放射性物質について過剰に厳しい独自の安全基準を設けないよう要請

スーパーなどが独自基準を設けているケースがある。「二重基準」で生産者側の負担が増しているとして、「過剰規制と消費段階の混乱を避けるため」の対応を求めた。
食品スーパーなどで、一般食品で同25ベクレルなど国の新基準よりさらに厳しい独自の基準を設け、それを上回る食品は店頭に置かないといった対応を取る企業が増え


政府が基準を厳しくしたとはいへ、其れより厳しい基準を独自に作って売るのが何故いけないのか?消費者は大歓迎である。生産者だって其の方が助かる場合もある。

生産者も大切だらうが、消費者だって大切なのだ。特に幼い子供に食べさせる食品が厳格すぎて何が悪い。自民も民主もさうした事は無視。役人の走狗に過ぎない。

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昨年頂いた静岡茶。当時は新茶であった。二袋もあるのだが、飲んでゐない。理由は明白。

如何しやうか困ってゐる。捨てるのは下さった方に悪いやうな気がする。しかも、さうすると放射性物質廃棄に該当するかもしれないのだから。

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ところで、某さんにいただいた「もやしもん」11巻にポリオワクチン問題について書いてある。何故、副作用の出る生ワクチンが其のまま放置されてきたか、といふ話だ。

元々、生ワクチン導入は仕方のないことだった。といふか当時の政治家の英断だった。其れは間違ひない。

ポリオウイルスが猖獗を極めた時、ワクチンが不足し、生ワクチンを輸入した。ポリオに限らず

「感染するリスク」>>>「予防接種による副作用リスク」

ならば当然、副作用のリスクがあっても予防接種を取るべきだ。

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しかし予防接種によって流行が収まり感染するリスクが副作用リスクを下回り、不活化ワクチン在庫に余裕があれば、当然、副作用リスクが小さい予防接種をすべきなのだ。

其れをしてこなかった。此れは如何考へても厚生省や厚労省の怠慢である。そして政治家の多くもバカであった。文系でも良いから、まうちっと理系センスも持ち併せた政治家を選ぶべきなんだ、私を含む選挙民は。

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さて時々、武田先生のガリレオ何とかといふ小学館提供のネットVTRを視聴してゐる。http://bp.shogakukan.co.jp/takeda/backnumber/index.html
福島の人を救ふ為にすべきことは、福島の野菜を食べることぢゃない。福島の人に安全な野菜を送ることだ。といふ私見同様の事を仰った。

また瓦礫もばら撒いてはいけない。放射性廃棄物は福島の高濃度汚染地帯に集めるべきだ、といふ真っ当な意見も述べられた。

其れにしても「嘘の慣性力」といふ表現に笑ってしまった。此れは詰まり、阿部謹也氏が指摘した世間の問題でもあらう。

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先日、職場に中途採用のベテランが入った。新歓コンパ(歓迎会)で近くの席になったので話してみると非常に面白い方だった。元々理系で、ある事があり文系学部に入りなおし、様々な会社に勤め今に至る話が特に興味深い。

色々話を聞いて母校の大先輩であることを知った。

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仕事でザッと目を通した『環境省の大罪』、面白かった。

『旗本御家人 驚きの幕臣社会の真実』等々を読むと、日本はだらけきった太平の世、パックス・トクガワーナ(徳川の平和=江戸時代の大半)の最後よりも酷い状況に陥ってゐる、と思ふ。かつての幕臣官僚にも、現在のキャリア官僚にも綺羅星の如く素晴らしい人がゐるが、都会でみる星空程度の希少さ。

大抵は家柄(試験)が好かっただけの愚者である。
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